私は前から思っているが、法科大学院制度を維持するのは司法試験の学識レベルを下げて就職先を確保しないと成り立たないと思う。もともと旧司法試験は大学卒業後約5年間試験一辺倒でようやく身に付く学識を試す試験だった。それを大卒後たかだか2,3年の勉強、しかも試験勉強に偏らない学習で旧司法試験と変わらない学識を持った人物を選抜しようとする事自体に無理があるように思う。法務省は全く司法試験の学識レベルを下げようとしないが、司法試験のレベルを下げずに法科大学院制度を維持するというのは、結局のところ東大や一橋大といった一部の法科大学院生で学校の学習外に必死で試験勉強にした者だけが合格する試験になってしまって本来の趣旨に反していると思う。
もともと東大や一橋大などの合格率の高い法科大学院は旧司法試験でも短期合格する人たちが集まっているところで、法科大学院の教育が優れているから司法試験合格率が高いわけではない。本来は大卒後約5年間試験一辺倒で学習する旧司法試験の反省から、多様なバックグラウンドをもった人や実務力など試験以外の点で優れた人たちを法曹として世に送り出す事を目的にしたのが法科大学院制度だったと思う。それは必然的に司法試験の学識レベルを下げなければ実現できない。法科大学院は司法試験予備校ではないし、上で述べたとおり大卒後約5年間試験一辺倒でようやく身に付く学識レベルを基準に、試験勉強外の2~3年の学習をした人たちを選抜する事自体が不合理である。
現在の司法試験で求められている法曹像は旧司法試験の学識レベルを持った人たちとは質的に異なるはずだ。別な観点での試験である以上、旧司法試験の学識レベルより低い合格者が出ても私は不思議ではないと思う。そもそもそれほど高度な学識を求めず、別な観点で質の高い法曹を選抜するのが現在の司法試験ではないのか。国をあげて法科大学院制度を維持しようとしているのに、法務省は司法試験の学識レベルを全く下げようとしない。これは矛盾している。
はっきりいって、そういう法曹を選抜したいなら旧司法試験に戻すべきだ。国の方が試験勉強に偏らざるを得ない司法試験にしておいて、法科大学院では試験勉強に偏らない学習をしろというのは、「ふざけるのも大概にしてほしい!」と思う人もいるかもしれませんね。
このまま法科大学院制度を続けても、旧司法試験で短期合格できるような人だけが東大や一橋大のような一部の法科大学院に集まり、大学院が実質司法試験予備校化するか、学校外の事件で試験偏重の学習を死にもの狂いで行って司法試験に合格するだけの制度になるだろう。多様なバックグラウンドをもった人や実務力など試験以外の点で優れた人たちを多く法曹として送り出す理念は空想でしかなく、単に司法修習でやっていた事を一部受験生の私費で実施し、国の財政を軽くできたというだけの利点しかない。
前に鳩山元法務大臣が言ったように「我が国は難しい試験に通ったからこそ、法曹に信頼をよせる考えがある」という理由で法曹を選抜したいと思っているなら、旧司法試験で十分だ。
政治家や官僚は長い時間をかけて司法試験合格者数と法科大学院の定員を釣り合わせれば問題は解決すると本気で考えているのかもしれないが、単に司法修習でやっていた事を一部受験生の私費で実施し、国の財政を軽くできたというだけの利点しかなく、受験生にとってはたまったものではないし、本来の目的は到底達成できない。政治家や官僚はその事は完全に無視している。
政治家や官僚はなぜ法科大学院制度の廃止を全く主張しないのだろう。