今日もがんばろう!
今日もがんばろう! - 2015年9月3日
今日もがんばろう! - 2015年9月4日
今日もがんばろう!
LHCのシグナルは物理学の標準理論の亀裂をほのめかしたか?
”LHC signal hints at cracks in physics' standard model”(写し)というタイトルの記事がネイチャーで公表された。物理学が大きく進展するとよい。
O 30代女性研究者らへのネットいじめについて
最近はオリンピックエンブレム問題で佐野研二郎氏へのネットの誹謗中傷が著しい事が報じられた。この事件はネットユーザーたちの追及で撤回まで至り、その事も大きく注目された。彼らがなぜこの問題を追及したのか。そこはよくわからない。ネット中心に追及されたので、誹謗中傷が大きくなったのは避けられない事だったかもしれない。
この事件は昨年のクラウド査読によるSTAP細胞事件と類似する。私はその中心の一つとなる活動をしたので、当時の動機や感想がわかる。私に関していうと、STAP細胞の事件以前から研究不正の問題を扱っていて、特別にSTAP細胞だけを扱ったわけではない。ただ、社会的に大きく関心を持たれていたから疑義を紹介したという理由はあった。STAP細胞事件に限らず、日本の研究公正は非常に悪く、捏造や改ざんなどの悪質な研究、それに対する被疑者のごまかし、隠蔽だけでなく、研究機関までがそれを隠蔽したりルールを守らなかったり、でたらめな調査を行う様を非常に悪いと思って、改善したいと思った。また、私のブログは啓発効果等を目的としたブログなので、言論を通じて問題点や良い点を知らせて世界をよく変えていきたいという目的もあったので、それに関連して研究不正問題を扱った。STAP細胞事件等を通じて、文科省のガイドラインが改善されたり、研究倫理の向上のための動き、第三者調査機関設立の議論などが始まった事は成果だと思っている。
上のような考えでSTAP事件を扱っていたが、私は当時この問題を扱っていて正直怖かったし、途中から悲しくなった。私は日本語のブログとツイッターで一番最初にこの問題を紹介した。前から研究不正の問題を扱っていたので、ある程度読者がついていた事もあって、記事の内容は瞬く間に拡散していった。他の研究不正を扱う時は、社会的な関心が寄せられる程大きく注目されないが、STAP事件の時は抜群に注目され、ネットで大きく広まっていくだけでなく、大学やネイチャー誌の調査、マスコミのスキャンダラスな報道などがすごい勢いで拡大していき、この調子で続けたらどうなってしまうのか怖かった。だから他の人に代わりに追及して欲しかったので、11jigen氏がすぐに参戦し、彼がリードする形になって良かったし、少し安心した。
この問題は追及していくと、まるで底なし沼のように次々に疑義が浮上し、あまりの酷さに悲しくなってしまった。疑義の拡大にあわせてネットでの誹謗中傷は拡大していった。ネットでの誹謗中傷は現在も続いていると思う。私が行った事や不断の研究不正関連の記事も他の人たちから見ればネットいじめに見えるという人もいるだろう。ただ、研究不正の問題は上のように被疑者や研究機関のごまかしのために公正に行われていないので、私はネットの追及は現状では不可欠だと思うし、プロフィールや所属、顔写真等の紹介は啓発効果を高めるため等に関連事項として扱っている。リトラクションウォッチや白楽ロックビル氏のサイトでも同様だし、プライバシー権等は対象者が自発的にネット公表したものなら放棄したと考えられるので、扱っている。
STAP事件はネットの誹謗中傷より週刊誌等のバッシング報道の方がずっと酷かったと思う。週刊文春の乱倫な研究室、失楽園などの記事やコピペ研究所というゲームなどが代表的で、とても過激な記事が公表された。
私は忙しく、佐野氏のエンブレム問題は全く関心がなかったので、ネットでの誹謗中傷は全く見ていないし週刊誌等も読んでいないが、佐野氏によれば「人間として耐えられない限界状況」(写し、写し2)だったという。盗用を認めていないが、ネットリンチでエンブレムを撤回してしまった。私はこの件は見ていないので何とも言えない。
大きな問題だとある程度ネットで誹謗中傷が出るのは避けられないのが現実だが、STAP事件の時の週刊誌報道等は本当に酷かったし、それはこの件に限らず前から同じではないかと思う。私は忙しいので活動するつもりはないが、改善したいと思う方はネット上の言論で活動されてはどうか。
今週もがんばりましょう! - 2015年9月7日
今週もがんばりましょう!
大内睦子(Mutsuko Ouchi)と大内徹(Toru Ouchi)らの論文がデータ操作で撤回!
大内睦子(Mutsuko Ouchi、筆頭著者)と大内徹(Toru Ouchi、責任著者、Roswell Park Cancer Instituteの教授, Buffalo, NY, USA)らの論文がデータ操作で撤回された。
大内徹と睦子は夫婦で子がいるようだ。大内徹は1992年大阪大学大学院医学系研究科修了。2015年7月25日にOsaka University Global Alumni Fellowが授与された(写し)。授与式の様子(写し)。不正論文は2013年からPubPeerで疑義が指摘されていた(写し)。そのため私は去年から知っていた。最近、大内徹にOsaka University Global Alumni Fellowが授与されたが、大阪大学は不正論文の責任著者に称号を与えてしまった。PubPeerの指摘だけでなく、時期的にいって研究機関での不正の調査は実質的に不正と判定されたか、ほぼそれに近い状況だっただろう。大阪大学は名誉称号授与に際して、不正問題を全然気にしなかったのか、それとも認識していなかったのか。
撤回論文は
Mutsuko Ouchi, Nobuko Fujiuchi, Kaori Sasai, Hiroshi Katayama, Yohji A. Minamishima, Pat P. Ongusaha, Chuxia Deng, Subrata Sen, Sam W. Lee and Toru Ouchi
JBC VOLUME 279 (2004) PAGES 19643–19648
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This article has been withdrawn by the authors. An investigation conducted at the Roswell Park Cancer Institute determined that the flow cytometry data shown in Fig. 5B had been manipulated.
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Roswell Park Cancer Instituteの調査でFig.5Bが操作と公式に判定され、それが明記された。 共著者にSam W.Lee(写し、写し2、写し3)とPat P. Ongusahaがいる。彼らは別論文で不正又はその疑義がある。Sam W.Leeが責任著者の別論文1編は不適切な画像操作で撤回された。別で紹介したとおり、この論文の筆頭著者が井手貴雄(Takao Ide、佐賀大学医学系助教)。撤回公告(写し)。
疑義や不正の多発さからいって、私はSam W.Leeのグループには何かあると思う。大内睦子と大内徹はSam W.Leeのグループの不正に関わっているのか。組織的な研究不正をやっているのではないか。井手貴雄はそれに巻き込まれたのか。大内徹とSam W.Leeの論文疑義はPubPeerで大量に指摘されている。鈴木実や高橋孝夫がAdi F. Gazdarのグループで研究不正をやってしまった事と似た事例かもしれない。
真相はどんなものだろうか。
参考
[1]Retraction Watch 2015.9.4
[2]Retraction Watch 2013.8.23
[3]Retraction Watch 2012.11.20
井手貴雄(Takao Ide) 佐賀大学医学系助教らの論文が画像操作で撤回!
井手貴雄(Takao Ide、筆頭著者、佐賀大学医学系助教)らの論文が不適切な画像操作で撤回された。
Molecular Cell 36, 379–392, November 13, 2009.
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This article has been retracted: please see Elsevier Policy on Article Withdrawal (http://www.elsevier.com/locate/withdrawalpolicy). We were made aware that Western blot data in some of the figures for the above referenced paper were inappropriately assembled resulting in duplications of bands. Because we believe that the presentation issues are beyond the limits of acceptable scientific standards, we wish to retract this paper and regret any inconvenience to the scientific community this may have caused.--
Lauren Brown-Endreも筆頭著者で、Sam W.Lee(写し、写し2、写し3)が責任著者。Sam W.Leeの論文は他にもいくつか疑義だ出されており、ネイチャーとCurrent Biologyの論文に大量訂正が公表されている。ネイチャー論文の第二著者は井手貴雄。Current Biology論文の筆頭著者はPat P. Ongusaha。大内睦子(Mutsuko Ouchi、筆頭著者)と大内徹(Toru Ouchi、責任著者、Roswell Park Cancer Instituteの教授, Buffalo, NY, USA)らの改ざん論文でも共著者になっている。
疑義や不正の多発さからいって、私はSam W.Leeのグループには何かあると思う。大内徹も関係しているのか。組織的な研究不正をやっているのではないか。井手貴雄はそれに巻き込まれたのか。鈴木実や高橋孝夫がAdi F. Gazdarのグループで研究不正をやってしまった事と似た事例かもしれない。大内徹とSam W.Leeの論文疑義はPubPeerで大量に指摘されている。
真相はどんなものだろうか。
参考
[1]Retraction Watch 2015.9.4
[2]Retraction Watch 2013.8.23
[3]Retraction Watch 2012.11.20
大内徹(Toru Ouchi)の論文疑義その2
大内徹(Toru Ouchi、Roswell Park Cancer Instituteの教授, Buffalo, NY, USA)の疑義はPubPeerでいくつか指摘されている。例1(写し)、例2(写し)、一覧(写し)。前も紹介したとおり、2015年7月25日にOsaka University Global Alumni Fellowが授与された(写し)。別件ではすでに研究機関が公式に画像操作を認め、撤回公告で公表された。時期的にいって研究機関での不正の調査は実質的に不正と判定されたか、ほぼそれに近い状況だっただろう。大阪大学は名誉称号授与に際して、不正問題を全然気にしなかったのか、それとも認識していなかったのか。
Osaka University Global Alumni Fellowはこのままだろうか。
今日もがんばろう! - 2015年9月10日
今日もがんばろう!
O 30代女性研究者は博士論文の不正で博士号が取り消されるのか?
O 30代女性研究者は博士論文に不正があり、近く博士号が取り消されるだろう。私はO 30代女性研究者の博士論文は大きな不正行為があったと思った。某有名大学は必ず博士号を取り消してほしい。そういえば、O 30代女性研究者は誕生日が近かったと思う。数週間後では?O 30代女性研究者は天秤座だ。
今日もがんばろう!- 2015年9月12日
今日もがんばろう!
今日もがんばろう! - 2015年9月13日
今日もがんばろう!
今週もがんばろう! - 2015年9月14日
今週もがんばろう!
東大分生研事件後の加藤茂明氏
加藤茂明氏は元東大分生研教授で骨代謝の分野で著名な研究者。2012年頃に発覚した研究不正事件で引責辞任した。加藤茂明氏の研究不正事件後の活動は他の研究不正行為者の活動とは違い、なかなか良いと思う。大概の研究不正行為者は研究不正に関してだんまりを決め込み、処分後も逃げ続ける。例えば岡川梓、伴金美は論文等の不適切さを学会等から指摘されても訂正すらせず、何の説明もしようとしない。O 30代女性研究者も逃げ続けている。他にも服部良之、川上明夫なども同様。
一方、加藤茂明氏は東大を引責辞任した後、福島県でボランティア活動し、相馬中央病院や仙台厚生病院などで論文指導などの仕事をしている。上昌広氏によると『研究不正で責任をとった教授の再出発は重要なテーマだ。成功例は加藤茂明・元分生研教授だと思う。福島で地元の子供、若き医師を指導している。彼が関わる病院だけが、若手医師が激増している。「加藤先生に指導して貰いたい」という人が多い。来年、いわきときわ会常磐病院に彼の基礎研究室が出来る』(上昌広氏のツイッター、2015年8月26日)
最初にあげた人たちと加藤氏の活動を比べると大きく近い、加藤氏の方がずっと良い活動だとわかるだろう。研究不正問題が報道された時も、加藤氏は他の人たちに比べてよく説明していたと思う。その点でも他の人たちと全然違う。
東大分生研事件は東大開学以来最悪の不祥事と言われた事もあり、東大の報告書では、加藤氏の活動は非常に悪質だったと認定された。しかし、加藤氏が上のように様々な善良な活動をしている点を私は評価する。上氏がいうように加藤氏のような人物がきちんと再出発できる仕組みを作ることは重要だ。
皆さんはどう思いますか。
大阪大学のある経済系研究者が不正で停職3月
ラミプリルに関する臨床研究論文がデータ捏造で撤回!
ラミプリルに関する臨床研究論文がデータ捏造で撤回された。リトラクションウォッチでも報じられた。ラミプリルはアンジオテンシン転換酵素(ACE)阻害薬。2年前のディオバン事件を思い出します。
ある経済学論文の訂正 - 2015年9月18日
法科大学院を中核とした新司法試験、法曹の養成について
現在の法科大学院や新司法試験はうまくいっておらず、有為な人材が法曹を志さなくなっている問題がある。具体的な問題は法科大学院の学習に時間やコストがかかり過ぎる事、その制度を受験生の多くが望んでいない事、試験の観点でしか新司法試験を行っていない事、就職先を得るのが難しい事等である。
もともと法科大学院制度は旧司法試験の点をとるための試験に偏った学習から脱却して、多様な人材を法曹界に迎え入れ、実務やプロセスを重視した教育等を行って質の高い法曹を輩出する事が目的だった。しかし、現実は大きな時間、コストを負担して法科大学院に通っても新司法試験合格率が低く、法曹になり難いので、多くの人たちがリスクを恐れて法曹を志さなくなった。有為な人たちは法曹以外の職業を選択するか、法曹を志す場合は予備試験を通って法曹になる道を選ぶ。
国は長い時間をかけて法科大学院を淘汰して定員と新司法試験合格者数を釣りわせ、共通到達度試験を導入する等してなんとか法科大学院を存続させようとしている。私は当初の法科大学院の趣旨に賛同するが、問題点を改善しない限りはたとえ現在の国の対策を行っても悪い制度のままだと思うので抜本的な改革が必要だと思う。
まず最初にやならなければならないと思うのは求める現実的な法曹像をはっきりさせ、即急にそのために必要な制度に改革する事だと思う。私は現在の新司法試験の内容からいって、国は多様なバックグランドの人たちや実務等の点で優れた人物を法曹として採用するよりも、主に旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を持った人物を採用しようとしていると思う。どう見ても多様なバックグランドの人たちを法曹として輩出する新司法試験や教育になっていないし、法科大学院の実務やプロセス重視の教育をどのように新司法試験で試しているのか全くわからない。現在の新司法試験はこれらの観点での選抜ではなく、旧司法試験と同じく主に試験の点で高い法的学識を持った人物を選抜する試験だと思う。その事をよく表した証拠がどの法科大学院も予備試験組に司法試験合格率で劣っている事だ。予備試験組は確かに難関試験を突破したのだから、試験の点では優秀だろう。しかし、予備試験組は法科大学院で実務やプロセス重視の教育を全く受けていない。にも関わらず、新司法試験でどの法科大学院よりも合格率が高いというのは、新司法試験は結局主に試験の点で高い法的学識を持った人物を選抜するに過ぎないという事だ。もし、新司法試験が法科大学院での実務やプロセス重視教育も試す内容になっているなら、法科大学院出身者はそれらの点で全く教育を受けていない予備試験組に負けてしまってるのだから、余りに悲しい。プロ野球団が草野球団に負けるようなものだ。
国はどうしても法科大学院を中核とした司法試験制度を維持しようとしている。それは旧司法試験の試験に偏った学習から脱却し、多様なバックグラウンド、実務やプロセス重視教育の法曹を輩出する事が狙いなのかもしれないが、実際に新司法試験で輩出しているのは、旧司法試験と同じ試験勉強に偏って、試験の点で高い法的学識を持っている人物である。これは大きな矛盾ではないか。だから、私はまず国が最初にやらなければならない事は求める現実的な法曹像をはっきりさせる事だと思う。
もし求める法曹像が旧司法試験と同じか、それに近い法的学識を持った人物なら、法科大学院をすぐに廃止して旧司法試験かそれに近い制度に戻した方がいい。法科大学院制度にしても受験生はお金がかかるだけで、旧司法試験と同じで試験に偏った学習を必死にやるだけの学校生活になるだけだ。これはたとえ新司法試験合格者数と法科大学院の定員を釣り合わせ、予備試験を廃止しても同じだ。この制度で利点があるのは司法研修所の経費を抑えられ、法科大学院に教授として天下りできるようになった裁判所や検察庁、法務省、法科大学院で予算や権限をもらえた文科省や大学だけではないか。
そもそも法科大学院を中核とした新司法試験の制度にするなら、旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を受験生に要求する事自体に無理がある。旧司法試験は大学卒業後平均5、6年ひたすら試験に偏った死にもの狂いの勉強をして身につく法的学識でようやく合格できる水準だ。それを大卒後2、3年で身につけるのは難しい。それを実現しようと思うなら、法科大学院は実務やプロセス重視よりも予備校のように試験に合格するための教育を必死でやらざるを得ないだろう。しかし、法科大学院はそのような場ではない。法科大学院は試験に偏った教育をやれないし、やる能力もなく、法科大学院生は卒業しないと受験資格が得られないので仕方なく講義等に出て、空いた時間に身をやつして試験に偏った学習を続けて新司法試験の合格を目指しているのが現実だ。これはたとえ東大や一橋大といった超難関法科大学院でも例外ではない。試験に偏らない学習をしない受験生はまずいない。だから、国が長い時間をかけて法科大学院の定員と新司法試験合格者数を釣り合わせ予備試験を廃止し、旧司法試験で短期合格できる者だけを法科大学院生にしても、これは変わらない。見かけ上の合格率は上がるかもしれないが、だからといって試験に偏らない必死の勉強から脱却し、多様なバックグラウンド、実務やプロセス重視で質の高い法曹が輩出できるわけがない。超難関法科大学院の学生さえ試験勉強に偏った必死の学習でようやく新司法試験に合格しているのが現状だから、それをやめれば身につく試験の点での法的学識は下がる。その点で努力していないのだから極めて当たり前。そうなれば国は法科大学院の教育等に問題があるといって、淘汰を再開するのだろうか。
現在国が行っている旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を持った人物を求める新司法試験では、結局のところ試験に偏った学習をやらざるを得ないし、そういう人物ばかりが法曹として輩出されるだけだ。たとえ法科大学院の定員と新司法試験合格者数を釣り合わせ、予備試験を廃止して見かけの合格率を上げたとしても、こんな制度は失敗以外の何物でもない。
実務やプロセス重視教育を受けたどの法科大学院の受験生もそれらの教育を受けず試験勉強だけやった予備試験組に負け、未修者が既修者に合格率で大きく負けている大きな原因は新司法試験が主に試験の点で高い法的学識を持った人物を選抜する内容になっているからだ。そんな仕組みで法科大学院の趣旨である知財、企業法務等の多様なバックグランドを持った人物や実務やプロセス等の教育で質の高い法曹を輩出できるわけがない。現在国がやっているのは極端に言えば、野球の高い実技を求めていると言ってるのに、試験では国語や数学等の非常に難しい試験だけで選抜するようなものだ。「国はどういう人物を求めているんだ?」と思いませんか。法科大学院の新司法試験合格率が低いのは、法科大学院の教育力が低い事も原因だが、そもそも法科大学院が予備校のように試験に偏った教育を行う場ではないのに、新司法試験で主に試験の点で高い法的学識を問う内容になっているからだ。
私は法曹の法的学識が低くてもいいとは言わないが、法科大学院を中核として新司法試験を実施するというのは、必然的に旧司法試験に比べて求める法的学識の水準をずいぶん下げて、その他の点をより重視した法曹の育成を行っていくという事だと思う。旧司法試験の要求する法的学識は大卒後5,6年試験に偏って必死に勉強して身につく水準で、それを大卒後2,3年で試験勉強に偏らず、実務やプロセスを重視した教育を行い、知財等の多様なバックグランドを持った人たちも迎え入れるというなら、新司法試験がそのように変わらなければならないというのは結構簡単にわかる事ではないかと思う。どの受験生も必死に試験勉強に偏った学習をやって新司法試験に合格する法的学識を身につけてるのに、それ以外の事も求めていくなら、法的学識能力が下がるのは当たり前。どの受験生もスーパーマンじゃないのだから、旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を持っていて、実務能力等も高く、知財等の多様なバックグランドを持った人たちもたくさんそういう法曹として輩出されるなんて余りに非現実的。求める法曹像が試験勉強に偏らず、実務やプロセスを重視した教育を行い、知財等の多様なバックグランドを持った人たちというものなら、それにあわせて新司法試験の内容が変わるのは当たり前だと思う。試験に偏って必死に勉強するのではなく、きちんとそういう法科大学院の教育を受け、新司法試験に合格でき、法曹になれる事が保証された仕組みにしないと、法科大学院の意味はない。
現在の国の方針だと、今後法科大学院は淘汰され、旧司法試験に短期合格できる人たちだけが入学する事になるかもしれない。試験の点で一番優秀な人たちは予備試験を目指すだろうが、現在の予備試験は受験者層こそ多様だが、合格者の大部分は学部生か法科大学院生で、特に東大生が多い。予備試験は本来経済的な事情で法科大学院に通えない人や企業等で既に法的学識を持った人たちがチャレンジするためのルートだったと思うが、現実は大きな時間的、経済的コストを嫌った学生が法科大学院をスキップするための手段として使われている。こういう人たちは本来予備試験ではなく法科大学院卒業後に新司法試験を受けるべきだ。それが破られているのはまずいし、実務やプロセスの教育を受けない人たちが新司法試験に合格し、しかも法科大学院組より新司法試験で優秀というのは、なんともまずい結果だと思う。予備試験の廃止を主張されるかもしれないが、廃止するともっと法曹を志す人たちが減るだろうか。
私はどういう法曹を求めていくかは国民や企業が決める事だから、旧司法試験や現在の新司法試験のように主に試験の点で高い法的学識を持った人物を求めていくなら、それでもいいと思う。前に鳩山邦夫法相(当時)が「我が国は難しい試験に通ったからこそ信頼をよせるという考え方がある」といって新司法試験合格者目標を3000人から下げようとした事があった。国民や企業が本当にそういう法曹を求めているなら、それでいい。それなら、即刻法科大学院を廃止して、旧司法試験かそれに近い制度に戻した方がいい。
ただ、私は鳩山氏がいうような考えは適切な考えではないと思う。どんな職業人でも合格した試験の難易度ではなく、仕事の結果で評価されるべきだ。試験に合格した事は何の結果でもなく、どんなに難しい試験に合格しても、結果を出せない人は良い職業人とは言えない。私は超一流のローファームを頼った知人から「あのローファームの弁護士はアホじゃないかと思った。司法書士の先生の方が有能だと思った。超一流のところだったけど、難しい試験に合格したやつは何を考えとるのかわからん。」と聞いた。裁判官でも全く判決を書かず、20年以上やっていても簡単な仕事しか任せられない裁判官は現実に存在する。
また、私は旧司法試験や現在の新司法試験のように大卒後数年間試験勉強に偏った学習をひたすら死にもの狂いで続ける態度は、人物の総合的能力を伸ばす上で適切でないと思う。特に10代、20代でそれをやるのは良くない。試験勉強以外に学ばなければならない事はたくさんあるし、それらを身につけないと試験の上での学力は良くても、良い職業人にはなれない。法曹界だって法曹になった後に学ばなければならない事の方がずっと多いはずだ。
だから、私は法科大学院の趣旨には賛同する。しかし、それは試験勉強に偏らず、多様なバックグラウンドを持った人たちを迎え入れ、実務やプロセスを重視した教育、コミニュケーション力を磨く学校生活を送り、旧司法試験に比べればずいぶん低い法的学識を試す試験かもしれないが、それなりの水準の新司法試験に合格し法曹となってくれる場合の話。
こういう事を述べると、「法的学識の低い法曹では国民のためにならない。」、「新司法試験の合格者は刑法で構成要件、違法性、有責という流れで検討するという非常に基本的な事すら知らない者がいる。」(この主張は現実にあったものだと思うが、たぶん試験を重視しない事を批判したい人が誇張していっただけなので真に受けない方がいい。)とネガティブな主張を主に法曹界が主張するに違いない。
しかし、上で述べたように、どういう法曹を求めるかは国民や企業が決める事だと思うし、彼らがそれでいいならいいと思う。悪い法曹なら国民が彼らを選ばない事で自衛できる。私は現在のように非常に難しい司法試験にしなくても、有能な法曹はたくさん輩出されると思う。免許をとった時点では法的学識が旧司法試験合格者より低くても、高度な法的学識等は裁判所、検察庁、法律事務所等に勤めながら徐々に伸ばしていけばいいのではないか。だいたいどの大手企業も24、5歳の修士卒の新入社員なら仕事をさせながらゼロから育てるという感じだし、それで高い能力を持ち、立派な成果を出した人たちはたくさんいる。医学界やアメリカの法科大学院も日本の新司法試験程難しくないと思うし、特に医師国家試験は難しくなく、医学部生は法科大学院生のように身をやつして勉強しているという感じではないが、有能な職業人は何人も輩出されている。他の分野や国でできている事が日本の法曹養成でできないはずはない。
以上、皆さんはいかがお考えですか。
法科大学院協会の見解に対する意見
法科大学院協会の予備試験に関する意見書で次の文章があった。
『高度の専門職である医師や歯科医師等の養成について、医学部・歯学部で学ぶ過程を省略して国家試験で能力を判定するだけで足りるという意見は聞かれない。専門職を育てるためには、それにふさわしい教育課程が必要である。このことは、法曹養成についても同様に当てはまるというべきである』
医師や歯科医師等の養成について、医学部・歯学部で学ぶ過程を省略して国家試験で能力を判定するだけで足りるという意見が聞かれないのは、国家試験が簡単でほぼ1発合格し、1発合格でなくてもそれに近い回数での合格が保証され、就職先が確保され、その制度で優秀な人材がそこそこ輩出する事が確立してるからです。医師や歯科医師等の養成は、法曹界のように専門職教育課程が主流なのに非常に難しい試験なんてバカな事をやらないんですよ。医学部生や歯学部生はサークル活動やバイトをよくやってるでしょ。医学部生等の学ぶ量がかなり多いのは確かですが、彼らの学校生活は理学部や経済学部の学生と大して変わりません。法科大学院生のように死にもの狂いで試験に偏った勉強やってる人なんていません。私立医学部は法科大学院の学費の約10倍ですが、これで新司法試験のように非常に難しい試験にしたら、誰も進学しないだろうし、今の法科大学院と同じ状況になるでしょうね。予備試験のように専門職教育の過程を省けるなら、誰でもそっちの方を目指すし、その方向を拡大しろと要求するに決まっているでしょう。それに、そんな環境の専門職課程で学生が安心して学校が求める能力を伸ばす事に努めるのは非常に難しいでしょう。
前も言いましたが、法科大学院を中核とした司法試験制度にするなら、簡単に言えば新司法試験を簡単にしないとうまくいかないんですよ。新司法試験が旧司法試験と余り変わらない非常に難しい法的学識を問う内容だから、法科大学院生はみんな試験に偏った学習を必死でやっている。試験に受からないと何百万円という学費や数年の時間が無駄になるわけだから、そうなって当然でしょう。今のような試験に偏らざるを得ない状況で、臨床だの外国法だの一生懸命やれ、試験に偏らず幅広い能力を伸ばす努力をしろ、というのは不条理だと思います。
前も言いましたが、現在の新司法試験が要求する法的学識の水準は旧司法試験かそれに近いもので、これは大卒後平均して5、6年試験に偏った学習を死にもの狂いでやってようやく身につくレベルです。東大や一橋大等は旧司法試験で短期合格できるような優秀な人たち集まってるから大卒後2、3年の学習でも合格率が高いのでしょうが、彼らだって死にもの狂いで試験のための勉強をしてようやく合格している事は変わりません。他の法科大学院だったら、尚更そういう努力をしないと無理でしょう。旧司法試験並の法的学識に加え、臨床だの外国法だの、実務、プロセス重視の学習、幅広い能力を身につけるなんて、スーパーマンじゃないんですから、できるわけがないでしょう。そんな法律一辺倒の環境で多様なバックグランドの人たちが法科大学院にくるわけがないでしょう。
法科大学院協会は予備試験のあり方を批判していますが、多額の費用や時間だけでなく、非常に難しい新司法試験のために法科大学院自体がほとんどの受験生から求められていない事をわかっていると思いますが、もし法科大学院制度を維持したいなら、予備試験よりも新司法試験自体をもっと簡単な内容にするように要求しないと、いずれ崩壊するでしょう。非常に難しい司法試験をやってるのに、多額の費用と時間をかけて法科大学院に進学して死にもの狂いで試験に偏った学習をせざるを得ない。法科大学院の実務やプロセス重視の学習なんて実力を伸ばす努力をやってる余裕が全くない。これでは「国家試験で能力を判定するだけで足りる」という意見ばかりになるのは当たり前でしょう。あなたが受験生なら、多額の費用や時間をかけてそんな環境の大学院で学びたいですか?
一方で法科大学院を維持するなら、新司法試験は簡単にした方がいいでしょう。そもそも法科大学院協会が言う法科大学院の趣旨からは旧司法試験に比してずいぶん低い法的学識を問う試験にするのは必然だと思います。大卒後2、3年の実務やプロセス重視の学習でそれらの能力を伸ばしつつ、旧司法試験や新司法試験で要求される大卒後5、6年試験に偏った必死の勉強だけやってようやく身につくレベルの法的学識を身につけるのは無理だからです。多様なバックグランドの人たちを迎え入れたいなら尚更ですね。
前も言ったとおり、即急に求める法曹像を決めて、旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を持った人物を法曹にしたいなら法科大学院を即刻廃止し旧司法試験かそれに近い試験にする、法科大学院を中核とした司法試験にするなら、少なくとも法的学識の点では現在に比べて新司法試験を随分簡単にしないと悪い制度のままで、多くの人にとって不利益が出ると思います。
前もいったとおり、私は総合的な能力向上の点で新司法試験を簡単にして法科大学院制度を維持する制度の方がいいと思います。法曹も試験ではなく結果で評価されるべきです。そのためには試験に偏った学習をして難しい試験を通った人物よりも、今の司法試験より法的学識は低くても総合的な能力が高い人物を法曹にした方がいいと思います。試験勉強だけできるタイプは使い物にならない事が多いし、人や人生を扱う職業なら、尚更総合的能力が高い人物が法曹になった方が多くの国民が幸福になるのではないでしょうか。法科大学院協会も言うように、医学部・歯学部で学ぶ過程を省略して国家試験で能力を判定するだけで足りるという意見は聞かれないのは、そういう過程で専門職人を養成しても優秀な人物を輩出できるからです。法曹界でもそれができない道理はないと思います。私は新司法試験が簡単でも、そちらの方がいいと思います。
STAP細胞はES細胞と確定、調査結果がネイチャー誌で発表。
STAP細胞はES細胞と確定し、調査結果をネイチャー誌に発表するという。ハーバード大学等の再現実験も全て失敗した。もうわかってた事だが、今頃発表か。