花子とアンを見て白蓮事件が描かれた。蓮子と嘉納伝助は愛情なく政略結婚だった。伝助は教養がなく文字さえ読めない。蓮子は短歌を作り、本を出したりダンスなどを伝助の娘に教えるなど教養を嗜む人。伝助は教養が好きではなかったようで、顔と家柄だけで蓮子と結婚した。私は全然教育を受けず石炭王になった伝助は非常にすごい人で大変な努力家だと思うが、どう考えても蓮子と伝助は合わない。二人は離婚する定めだったかもしれない。こういう様を見ると、結婚してもうまくいくわけがないと思う人が多いかもしれない。
しかし江戸時代以前は高貴な人は政略結婚が当たり前だった。愛情がなく、価値観、性格、考え方が合わなかったとしても結婚し家庭をうまくやった例はいくらでもあった。むしろ、愛情がないことや価値観等の違いがあることで結婚がうまくいかないようでは生きていけなかったと言った方がいいかもしれない。例えば徳川家定と篤姫は政略結婚で、おそらく互いに愛情はなく価値観等も合致しなかったと思うが離婚することはなかった。淀殿は実の両親を死に追いやった秀吉と結婚し、秀頼など複数人の子供を産んだ。現代では全く考えられないことだろう。
愛情や価値観などを気にしていられなかったのが現実だろう。逆にいえば、愛情がなく価値観等が合わなかったとしても本人の努力でいくらでも結婚で幸せになれるということかもしれない。長い歴史がそれを証明している。それが通用したのは当時のイデオロギーによるところが大きいと思うし、現代のイデオロギーで上のようなことがうまくいく可能性は低いと私は思う。しかし、当時のイデオロギーがどうであれ結婚しうまくやっていくのは非常に難しいと思う淀殿は両親を死に追いやった相手と結婚し子供を産んで、その人の家を守ろうとしたのだし、努力でなんとかなるのかもしれない。
現代でも政略結婚は存在する。そういう人は少ないかもしれないが歴史上の人たちをみれば、努力でうまくいくかもと思えるかもしれない。
否定、排除の考えよりそういう考えの方が幸福になれると思う。