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査読や人事の審査は機能しているか?

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査読と検証による淘汰に研究不正の抑止力はあるかという記事が出た。その1,2

『 だが査読を通過して論文が掲載されても、他の研究者が追試して再現されなければ学術的な成果として認められない。インパクトのある研究ほど世界の研究者を巻き込むため、追試が徒労に終われば、不正をした研究者は信用を失う。

 ある医学会理事長経験者は、「不正一つで悪評が立ち、積み上げてきた業績が吹き飛ぶ。科学は膨大な失敗の上に成り立つが、論文にしないため、(失敗は)研究室から外には出さない」という。』(ニュースイッチ 2017.5.14)

再現性がない事で信用を失う事が抑止力になるのだろうか。これまでの不正をみると査読は研究不正を見抜く十分な機能を持たず、不正論文を掲載してしまう。STAP論文や最近のプラ粒子のサイエンス論文はその例だ。

このような論文はまだ検証されるだけよく、誰にも読まれない論文は再現性が全く確認されない。

「まったく再検証されず再現性もない領域は、誰のための研究活動なのか説明するところから始める必要がある。」(ニュースイッチ 2017.5.14)

例えば医学や経済学の研究で現実の医療や政策に役立たせることを目的に研究をやったのに、誰にも読まれず検証されず、再現性もない研究は実際にあり、いったい何のための研究か疑問に思う。せいぜい論文著者が業績を作るために研究を発表したというに過ぎない。本来は研究成果の利益を受ける人たちのための発表だが、そういう意味ではまあ・・・。端的にいうのは適切ではないので、この程度の表現にしておく。

査読や人事の審査では研究の信頼性や不正を見抜く力が十分ないと言わざるを得ない。実際上の論文やO 30代女性研究者を採用してしまった人事を見てしまうと、十分な審査をしていないのではないかと疑う。きちんと論文を読めば、ある程度研究の質や信頼性はわかり、不正論文発表などの実害を防げたはずだが、その点では全然審査をしていないのかもしれない。結局、害悪にしかならない者を採用し、不正論文を掲載してしまった。

それをきちんと認めて改善できるところはまだいい方で、不都合だから無視したり、隠蔽するところもある。

改善が必要だ。


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