1985年にうしろゆびさされ組というアイドルユニットがあった。そのデビュー曲がうしろゆびさされ組。
うしろゆびさされ組
どういう曲かは視聴して頂きたい。その中の歌詞で次のものがある。
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趣味が悪いねと
まわりの友達は言うわ
だけど愛はいつだって
答えがあるわけじゃない
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(うしろゆびさされ組 より)
最近、はいからさんが通るの記事で女性の自由恋愛による結婚について執筆して、うしろゆびさされ組の曲を思い出したので本稿を執筆。
うしろゆびさされ組は1985~1987年に放送された人気アニメ「ハイスクール!奇面組」(新沢基栄)のOP、EDを歌うために結成されたユニット。奇面組は一言でいうとよく評価されない劣等生の集団で、うしろゆびさされ組とは奇面組の事。うしろゆびさされ組の高井麻巳子と岩井由紀子は奇面組のヒロイン河川唯と宇留千絵に雰囲気が似ていることから起用された。ヒロインの河川唯は主人公の一堂零が好きなので、うしろゆびさされ組は河川唯の気持ちを基に作られたといっていいだろう。
一堂零 ハイスクール!奇面組のEDより
一堂零はルックス、成績、運動能力、芸術など能力が不断は低く、性格が奇天烈で、超常的な行動をとり、わけのわからない人物。リンク先のとおり河川唯は一堂零が好きという設定。
ハイスクール!奇面組 第2話ラスト
常識的な基準からは一堂零は恋人や結婚相手にするには良くない人物かもしれない。そのため一堂零が好きというのは「趣味が悪いねと まわりの友達は言うわ」という事だろう。だけど唯は零の事が好きで、
「だけど愛はいつだって答えがあるわけじゃない」
と言うわけですね。ちなみにその後の歌詞で「あいつはだめな奴とレッテル貼られたって・・・世界で私だけはあの人を好きでいたい」と続く。
自由恋愛を基本とする現代では恋人や結婚相手を選択するときに、自分の必要性や性格、好み、価値観、生き方などを考えてそれに最適な人を選ぼうとするだろう。運動、経済力、性格、社会的地位、考え方など、人それぞれ重点や基準は異なるが、できる限り自分にとって最適な人を選択するのが幸福になるためには正しい選択方法かもしれない。
しかし、そういう基準で恋人や結婚相手を選んでも常に正しい選択とは限らないし、基準に適合しない人を選択しても幸福になれたという例はたくさんあるのである。そういう意味では「だけど愛はいつだって答えがあるわけじゃない」といえる。
自由恋愛に基づく現代で自分基準に基づいて最適な相手を選択したとしても、うまくいかずに不幸になった人たちなどたくさんいるのである。一方で常識的基準ではよくないと思う相手だったとしても幸福になれたという事はたくさんあるのである。これは恋愛や結婚に限った事ではない。
現実の例を紹介する。私は一堂零はこの人に似ているところがあると思う。
オリジナルの著作権者は不知
織田信長は若い時には行動や性格は非常に荒れていた。実用日本語表現辞典によると「信長は幼い頃から奇抜な衣装を着たり突拍子もない行動をたびたびすることで周囲を驚かせた」ため尾張の大うつけとよばれていたという。うつけとは何を考えているのかよくわからない人物の事も指したと何かの文献で読んだ記憶がある。奇抜な行動や性格などは一堂零と同じだ。
たぶん常識的な基準からは、とてもじゃないか信長を当主にして仕えるとか嫁ぐという事はできず、家臣になったり嫁いだりするのは明らかに誤りだったと考えたかもしれない。では現実はどうだったか?
織田信長は政治、経済、軍事、人事など多くの方面で極めて優れた人物で、絶大な権力を得た天下人だった。後に天下は秀吉から家康へと移ったが、信長がいなければ秀吉も家康も天下をとれていなかった。戦国の乱世で日本を統一する強大な勢力の礎を築いたのは信長である。比叡山の焼き討ちなど常軌を逸した活動があり、信長は自分自身を神と思っていたかもしれない。信長はいろいろな方面で超常的だった。まさにこれも一堂零と同じで、彼も超常的な能力のため、ある意味神であって、いろいろな方面で極めて優れた人物であった。織田信長は歴史上の偉人として最も人気のある人物で、だいたい人気投票をすると1位が信長、2位が坂本竜馬になる。信長はその意味でも非常に人気の高い自分で、その点も一堂零と同じだ。一堂零も作中では非常に人気が高かった。物語の設定、読者からの人気の両面で人気があった。信長は政治家や戦国武将として、零はコメディアンやお笑い芸人のような人物として非常に人気が高かったという点も同じだ。
信長に仕えたり嫁いだ人たちは、確かに信長のために不利益を受けた点もあるだろう。しかし、秀吉や前田利家など信長に仕えた事で大出世した人物は数多い。正室の濃姫はどうだったのかよくわからないが、少なくとも今川や武田など滅亡した家に嫁いだのに比べれば良かったのではないか。信長には側室や子もたくさんいて織田家は江戸時代以降も続いた。そういう意味では信長に嫁いだ人はそれなりに幸福な面はあったに違いない。
現代でははいからさんが通るのような自由恋愛を基本とするのだから、信長や零さんみたいな人に嫁がないじゃないの!と思うかもしれないが、昔は政略結婚や家同士の婚姻が当たり前で、相手の顔も性格も知らないままに嫁ぐ事は自然だし、その方が歴史がずっと長い。そのような婚姻で幸福になった人たちもたくさんいたのである。例えば江戸幕府14代将軍の徳川家茂と皇女和宮は公武合体のための完全な政略結婚であったが、夫婦仲は良かったと言われている。和宮は当初の許嫁と引き離されて政略結婚のために顔も知らない家茂に嫁いだが、それなりに幸福な面があったと思う。政略結婚や家同士の決めた婚姻で幸福になれないとは限らないのである。
常識的な基準からは恋人や結婚相手として良くないと周りの人が言う、しかしそういう人と恋人になったり結婚しても幸福になれる事がある。それは長い歴史の中で何度も証明されているのだ。だから、
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趣味が悪いねと
まわりの友達は言うわ
だけど愛はいつだって
答えがあるわけじゃない
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(うしろゆびさされ組 より)
というのは、その通りだなーと思う。政略結婚や家同士の婚姻では幸福になれる確率が低いというのはあるかもしれない。しかし、自由恋愛に基づく婚姻は幸福になるための手段の一つであって、幸福になれるなら政略結婚や家同士の婚姻でもいいではないかという考えもあるかもしれない。将来そういう考えも出てくるのだろうか。