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一関市博物館、平成26年度和算に挑戦の感想

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本日和算に挑戦の正解が公表された。中級、上級で少し懸念はあるが、私の解答は全部正解だと思う。懸念とは「(なぜ相似が成り立つか等)示すべき点を示す。」「計算が記入されている、省略されている」と言及された点。中級の解答では簡単にわかると思って三角形の相似の証明を省略したリンク先上の解答では証明なしで△ADF ∽ △ABCとしたが、教科書に出てくる典型的な相似関係だし、わざわざ証明しなくてもわかるだろうと思った。証明は簡単で、∠AFD=∠ACB=90°(円と接戦の関係)、∠DAF=∠BAC(共通)より、二つの角が等しいから相似。

上級問題ではどんな計算方法をしたのかわかる程度までは解答に記載したが、詳細な計算は省略した。例えばリンク先上の解答で「(7)、(8)、(11)、(12)より」と書いた所の下の計算は結構複雑で、試験の時の計算用紙に書くような細かな計算は本質的でないので省略した。書くと詳細でいいのかもしれないが、答案が複雑になる。数学は小論文等の文系の答案や芸術の評価と異なり、結論とそれに至る論理が正しければ誰が採点しても完全な正解である。細かな計算は論理と結論に影響がなければ本質的でない。従って細かい計算過程は省略してもいいと考えている。方程式が得られれば数値計算を使えば簡単に答えを出せるので、計算過程を示さず方程式だけ示して「数値計算により 丁円の直径1寸」としても論理と結論は正しい。多くの人が複雑な計算をできればやりたくないと考えているだろうから、嫌な人はそういうやり方でもいいと思う。

私が解答を作成する上で心がけているのは簡潔明瞭だ。和算に挑戦に取り組んだ最初の頃は詳細な答案を心がけ、簡単にわかる点も証明した答案を作成した。しかし、答案が複雑になってしまって簡潔明瞭とは言い難かった。また一関市博物館の解答例を見ても、簡単にわかる点を省略した解答が多々あり、簡単にわかる点を省略しても特に問題ないと判断するようになった。例えば今回の上級問題の解答例1の①の導出でも途中過程が書かれていない私の解答では念のために「定理1」として紹介したが、証明を見ればわかるとおり簡単で、いちいち証明しなくてもわかるし、和算によく取り組む者は定理1を既知の事として無証明で使うのが珍しくないのだろう。解答例1で①の証明が省かれたのはそれが理由だと推測する。

簡潔さと詳細さはトレードオフだ。「示すべき点を示す。」「計算が記入されている、省略されている」と出題側は注意するが、どこまで詳細に示すべきか解答者にわかるはずがなく、それは出題者の主観の問題である。簡単にわかる事でも全て証明し、計算過程も全て記載した厳密な答案でないと十分でないと考える出題者もいるかもしれないし、簡単にわかる証明や計算過程の細かい部分を省略しても論理と結論に間違いがなければ十分と考える出題者もいるだろう。いわば「どこまで詳しく解答すれば出題者は満足か。」というような主観的な問題は科学の対象ではないし、科学的正当性に何ら影響するものではない。上で述べた通り、数学は小論文等の文系の答案や芸術の評価と異なり、結論とそれに至る論理が正しければ誰が採点しても完全な正解で、科学の客観性とはそういう性質をいう。

繰り返すが、どこまで詳細に示せば出題者の基準を満たすのかは、それが明示されていないし解答者にわかるわけがない。解答者は数学の問題に取り組んでいるのであって、出題側の主観や不明確な基準で評価される文系の小論文や芸術の審査に取り組んでいるのではない。「なぜ相似なのか等、示すべき点を示す。」「計算過程が省かれている。」等と言われても、解答者がどこまで示せば出題者の基準を満たすのかわかるはずがないし、出題側のような不満を述べたら、下手をすればいくらでも揚げ足を取れるだろう。そんな事は科学において全く本質的でなく、非常につまらない事だ。私の解答は全て論理や結論に誤りはなく、公正に採点されれば誰が採点しても必ず正解になるはずだ。それに出題側は賞の選考基準で「簡潔、明快」と言及しているではないか!

大学入試の数学でも簡単な三角形の相似の証明を省いた程度で減点されないし、ポアンカレ予想を証明したペレルマンの論文でもいくつかの点の証明が省かれていたが正しいと判定された。細かい計算過程や証明のような枝葉の部分なんて正当性に影響しない。

以上、採点に関する感想。問題の感想は前に述べたとおり。出題側の文章を読むと、「甲円、乙円、丙円の直径(半径)から大円の直径(半径)を求め、次に甲円、乙円、大円の直径(半径)から丁円の直径(半径)を求めるという問題解法の方針の解答が多く見られました。」と言及され、これは私が書いたヒントと同じ。また私の記事で紹介した和算公式同じ様な公式が紹介された。案外、出題側や解答者は私の記事を参考にしている人が多いのかもしれない。ただ、解法は代表的なものが一番思いつきやすいので、私のヒントを参考にしなくても同様の方針になった人はたくさんいただろう。出題側の言及が私の記事の影響によるものかは不明。出題側が述べた和算の公式集はリンク先のもので、私が参考にしたものと編著者が違うだけで同じものだろう。公式番号が同じなのもそのためだと思う。この本は税込5940円で、高い。私が見た中村信弥 編著の方は無料。一関市博物館はなぜ高い方だけを紹介したのか。

公式集に載っている公式を使うと計算がかなり簡単になる。公式を使う利点はそれだけで、これを覚える利点はほぼない。センター試験数学の高得点方法と同じで単に取り組んでいる問題を解決するためだけに必要なほぼ無意味な技能や知識だ。教育上は時間や労力のロスになるだけの知識だと思う。ただ昨年度年上級平成23年度上級のように和算固有の公式を知っていると計算が簡単になる問題があるようだ。参考までに紹介したが、普通知らないので調べて解くしかないだろう。通常はリンク先の上の解答のように複雑な計算が必要な解答になる。

中級の講評で直径と半径を取り違えて不正解になった解答が言及された質問した人の中に同様の人がいたが、この手の間違いは毎年のように発生する。現代では円の半径を扱うのが通常なのに和算は直径を扱うのが通常である事が原因だ。注意するしかないし、注意すれば簡単に正しく扱える。

中級上級では座標を使った解析幾何の解答があったという。これらの問題でなぜ解析幾何を使おうと思ったのか、単に解法が複雑になって何の利点もないと思う。たぶん入賞目指していろいろな解答を提出しようと思ったのだろう。

また、初級で「学校単位でのとりくみの結果の応募は、類似する解が出てくるのは避けられませんが、それでも自分で考え、正解にたどりついたという満足感と、喜びを表現する工夫がほしかった気がします。次回は、自分なりの解答を期待しています。」と言及された。これは端的にいって、他人の答案を写したようなものがあったという事だろう。「少しでもヒントを見たり相談したらカンニング、不正行為なので負け、不正解同然」と冗談で書いたが効果が乏しかったか?過去の出題では出展文献を見て解答した人でも正解になったし、出題側も「類似する解が出てくるのはさけられない」と述べている。出題側は相談や誰かの答案を参考にするのは仕方ないと思っているのだろうか。

私のブログは毎年悩んでいる人のための助力としてヒントや最終的答えなどを掲載した。私は基本的にどう取り組むかは人それぞれだと思っているので、私のように完全に独力で解く人もいれば相談しながら解く人もいると思うので、いろんな取り組み方があっていいと思う。ただ、丸写しかそれに類似する解答は教育上全く意味がないので、そういう取り組み方なら挑戦しない方がいいかもしれない。無意味だけど挑戦したいという人がいるなら、それでもいいと思うが・・・。小中学生の頃から丸写し的な答案を作成というのは、昨年コピペで話題になった小保方晴子の予備軍といえるかもしれない。思えば小保方晴子も実力がないから、丸写しや捏造をやった。小保方晴子と同じ考えや行動は小、中、高、大学、どの教育課程でもある。

以上。


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