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研究不正の立証責任と証明度

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研究不正の立証責任についていくつか文献を調べた。日本では研究不正の立証責任は被告発者が負担し、文科省によるとその根拠は「研究活動とその公表の本質(先人の業績を踏まえつつ、自らの発想に基づいて行った知的創造活動の成果を、検証可能な根拠を示して、研究者コミュニティーの批判を仰ぐ)からすれば、被疑研究者が「不正行為」を行っていないことを立証する責任を負うものである。」という事。これは前回述べた根拠と合致する。要するに研究者が正しい方法で正しい結果を得たことを証明しないと正当と認められないという学術界の慣行に従ったのだろう。例えば小保方晴子氏が「STAP細胞はあります。200回以上作製できた。実験は確実に行われており、テラトーマの画像等は捏造ではありません。」と涙ながらに訴えても、科学的根拠を示さず実験ノートもポエムのような内容では真っ当な科学者は誰も信じなかった。

ただ、立証責任に関しては米国の例と異なるという文献を見た。

「ガイドラインには十分に議論して作ったと思えない部分がある。まず証明責任を、告発された側の研究者に負わせている点だ。証明できなければ不正と認定するとまで言い切っている。

 しかし訴訟では証明責任は原則として告発した側にある。行政機関が処分する場合は機関の側に証明責任があるというのが一般原則。米国の研究不正の規定もそうだ。」(山陰中央新報 2015年3月24日

これは正確でない。まず訴訟の立証責任に関してだが、立証責任を原則告発側、即ち原告や調査機関側が負担するという考えは必ずしも正しくない。研究不正の問題は民事事件で、立証責任は通説である法律要件分類説に基づいて決まっており、刑事事件のように検察官が原則全ての立証責任を負うという制度ではない。法律要件分類説とは各当事者は自己に有利な法律効果の発生を求める法規の法律要件について立証責任を負うという考え。研究不正の場合は、懲戒事由に該当する不正行為があった、名誉棄損の違法性阻却事由に該当する事の立証責任を告発者又は調査機関が負うという点で確かに上の考えは正しい。ただ、法律要件分類説は法律の条文や解釈等に基づいて決まっているので、告発者・調査機関、被告発者のうちどの主要事実についてどちらが立証責任を負うのかはより詳細な検討が必要となる。捏造、改ざん、盗用の法的な定義は法律で定められていないので、これはガイドライン等に基づくしかないだろう。

「本節で対象とする不正行為は、故意又は研究者としてわきまえるべき基本的な注意義務を著しく怠ったことによる、投稿論文など発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の捏造、改ざん及び盗用である。」(ガイドライン p10

「特定不正行為に関する証拠が提出された場合には、被告発者の説明およびその他の証拠によって、特定不正行為であるとの疑いが覆されないときは、特定不正行為とされる。」(ガイドライン p17

ガイドラインは立証責任は被告発者が負うと明示したので、法律要件分類説を意識した書き方になっていないが、仮に法律要件分類説的な書き方にしたら次のような記述かもしれない。

「本節で対象とする不正行為は投稿論文など発表された研究成果の中に示されたデータや研究結果等の捏造、改ざん及び盗用である。ただし、故意又は研究者としてわきまえるべき基本的注意義務を著しく怠ったことによる誤りでない場合は不正行為に当たらない。」

改定前の規定はこれに近い表現だった。要するに、捏造、改ざん、盗用の証明は告発者や調査機関が立証責任を負い、故意又は研究者としてわきまえるべき基本的注意義務を著しく行ったこと(以下、重過失)による誤りでない事の立証責任は被告発者が負うという事。即ち、上の「特定不正行為であるとの疑いが覆」されるときとは、誤りが故意又は重過失でなくアーネストエラーだった事が証明された場合のことで、それは被告発者にとって有利な事だから被告発者が立証責任を負うと考えれば、法律要件分類説と整合的。この考えは要件事実に基づいて立証責任を負わせるという考えだから、立証責任を負った事実だけが要件事実となるので、研究不正の成立要件は正確には捏造、改ざん、盗用等の定義を立証する事で、それを故意又は重過失で行ったという事は不正の成立要件でなくアーネストエラーの不正除外は抗弁事由という事になる。

こう解すると、現行ガイドラインが少なくとも故意又は重過失よる誤りでなかった事の立証責任を被告発者に負わせている事は法的にも正当である。故意又は重過失であったかどうかを判断するには被告発者の研究遂行を検証する必要があり、具体的には生データや実験ノート等の精査がほぼ必須になるので、これらの点の立証責任まで告発者に負担させると、被告発者が生データ等の開示に応じるはずがないし、およそ研究不正の認定はできなくなる。小保方晴子の桂勲委員会に対する対応のように、生データや実験ノートを故意に提出せず、だんまりを決め込んだりとぼければ不正を逃れるという不条理な結果になるのがほとんどだ。

この立証責任の分配は米国規程とも合致している。

小林信一:我々は研究不正を適切に扱っているだろうか(上)-研究不正規律の反省的検証- p42-43

上の文献によると米国規程では研究不正認定の立証責任を研究機関等が負い、アーネストエラーだった事(故意又は重過失でない事)や責任軽減の立証責任は被告発者が負担する事になっている。上の文献の脚注(47)では日本は民事訴訟でも原告が立証責任を負うと記載されているが、これは誤りで上で述べたとおり自己に有利な法律効果の発生を定めた主要事実に関して立証責任がかされるという法律要件分類説が判例・通説であり、この考えに基づけば立証責任をどちらが負担するかは主要事実が何か、解釈をどうするかによって変化する。上で述べた通り、少なくともアーネストエラーだった事(故意又は重過失でない事)の立証責任を被告発者にかす事は解釈によって法的に正当と判断する事ができるし、米国規程とも整合的となる。

また上の文献で述べられた「ここで重要な論点は、研究不正の認定で一番問題となる故意性の認定、意見の相違に相当しない事の認定である。機関又は保健福祉省(DHHS)はこれを証明する責任を負い、被告発者は逆に否認する証明責任を負う。」という部分は誤解を招く。小林はおそらく証拠の優越で故意性の認定が決まるので、双方に証明努力が要求されるという趣旨で記載したと思うが、通常法律で証明責任と言った場合は客観的証明責任を指し、それは自己に有利な法律効果を発生させる要件事実を立証できなかった事による一方当事者の危険ないし不利益の事で、要件事実が真偽不明になった時に立証責任を負っている側に不利な裁定をする事で裁定できない事を回避する技術だ。だから、同じ要件事実に関して双方が立証責任を負担する事は無い。そんな事にしたら真偽不明になった時に裁定できなくなる。

では証明度はどの程度が要求されるのか。

『米国やフランスでは「証拠の優越」による判定が原則だ。双方が証拠を出し合い、どちらに分があるか判断する。日本の民事裁判の原則でもある。ガイドラインはそうした原則を示しておらず、曖昧な判断がまかり通る可能性がある。』(山陰中央新報 2015年3月24日

「証拠の優越」の証明度で判定するのが日本の民事裁判の原則というのは少数説で、判例・通説は高度な蓋然性の証明が要求される。研究不正は民事事件だから、相当因果関係の証明度の判例であるルンバール事件の最高裁判例に基づけば、高度の蓋然性の証明が要求され、その判断は通常人が疑いを差し挟まない程度まで真実だと確信できる事が必要で、かつそれで足りるとされている。十中八九確からしいとか、抽象的には反対事実の可能性が考えらえても、健全な常識に照らしてそれが合理的でない場合まで証明された場合など、いろいろな表現がある。刑事でも判例を見る限り同じ証明度が要求されていると思うが、刑事の方が人権侵害が大きい事件なので民事より高い証明度が要求されていると思う。

民事の証明度は高度の蓋然性の証明が要求され、医療過誤訴訟、公害訴訟などでも原則同じである。裁判所は基本的にこの考えを貫いている。ただ、被害者や弱者救済、人権擁護の観点から証明度の建前は同じでも案件によって証明度を変えることで裁判所は対応しているように感じる部分がある。医療過誤訴訟ではある事実について相当程度の可能性の証明でよいとする判例さえある。一方で大相撲の八百長裁判のように不正を認定すると致命傷になるという場合は不正の高度で明白な証明が要求されているように感じる。要するに裁判では実質的に扱う案件によって要求される証明度が変わる。

ガイドラインではどの程度の証明度で事実認定できるかの判断基準は示されていない。日本の訴訟と同じ証明度を要求するなら高度の蓋然性の証明が要求されるが、前に述べたとおり任意調査を原則とする日本の研究不正の調査制度で、それで公正な判断ができるのか疑問を感じる。少なくとも、研究不正の立証責任を全て告発者や調査機関の側にかして、高度の蓋然性の証明を要求すると、小保方晴子の不正に対する桂勲委員会や井上明久事件に対する仙台地裁、高裁のような不条理な判断になってしまう。これらの事件で生データや実験ノートが提出されず、再現性も確認されなかったのに不正が認定されなかった主な原因は立証責任が全て原告側にかされ、高度の蓋然性の証明が要求されたからだ。

上で述べたように、不正かどうかの判断は研究遂行過程を検証する必要があり、生データや実験ノート等の精査がほぼ必須で、それを被告発者の任意性に委ね、告発側に全ての立証責任を負担させ、高度の蓋然性の証明を要求すると小保方晴子や井上明久のように適当な理由をでっちあげて生データや実験ノートを出さない、聴取に対して適当な嘘でごまかすかだんまりを決め込んで不正をごまかそうとする。現にそれで不正責任を不当に免れさせたのが理研の桂勲委員会や井上明久事件の仙台地裁、高裁判決だった。井上明久事件は実験ノートや試料が天津港でコンテナごと海に落ちて消えたという信じ難い主張をし作製した金属ガラスを割ってその断面と側面を写したと論文で記載し、そういう撮影でないと意味がないのに、別々に作製した材料の写真だから溶解質量限界に矛盾しない等の不自然な説明を度々繰り返し裁判でも再現性が確認されていない事が証明された。井上は不自然でもとにかく不正でない事の説明をして明らかに不正をごまかそうとしている。概して裁判官は基本的人権の擁護に熱心だが、真実の発見や公正さを実現するのも重要な司法の役割だ。民事事件は確かに真実の発見は主目的ではないが、現在までの判例だと証拠を隠滅し、だんまりを決め込むかとぼければ不正が不条理に認定されないに等しく、司法の信頼を損ないかねない。

前に述べたように、研究不正の証拠は被告発者側に偏っているのが通常だし、研究者の説明責任やガイドラインや国際的な研究不正対応との均衡を考えると、現行の司法の立証責任や証明度の要求は改善しなければならない。井上明久事件は最高裁に上告されたので、最高裁が適切な判断をする事を期待する。


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