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経済学の紀要や和文誌は評価されないのか?

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[1]より

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≪質より「量」の紀要論文≫

 学術論文とされているもののかなりは大学や研究室が出している「紀要」や調査研究の「報告書」の類に掲載されたものだ。故谷沢永一教授は、昭和55年に「アホばか間抜け大学紀要」を『諸君!』誌 (6月号)に寄稿した。多くの紀要論文に目を通し「見せかけ学術論文」とお粗末さを喝破した。

 1990年代からはじまった大学改革以降、論文「量」を重視する業績主義が浸透した。その結果、大学や研究室紀要はますますお手軽系発表媒体になり、事態はむしろ悪くなってさえいる。

  なるほど近頃は査読雑誌(論文は数人のレフェリーによって審査され掲載される)に格上げするために、「紀要」論文といえども、外部審査委員の目を通すことにしているものがふえてきた。とはいえ、外部審査委員の選定は紀要編集委員の人脈で選ばれる。だから、学会誌なみの厳しい評価はなされない。

 わたし自身、題名につられて、大学紀要に掲載されている論文を読んだことがある。日本語に翻訳された外国人学者の書物1冊を平板に要約しただけの代物。羊頭狗肉(ようとうくにく)論文に愕然(がくぜん)としたものである。

 もちろん紀要論文といっても、「玉」の論文はそれこそ「たま」にはあるが、「石」のほうが多い。この種のお手軽系発表媒体のみで業績稼ぎをしている学者を「紀要(器用)貧乏」教員と呼びたい。このような安易な業績稼ぎの蔓延(まんえん)には業績審査の仕組みの後押しがある。

 ≪「見せかけ学術論文」の罪≫

 文部科学省の大学設置審議会専門委員になり新設大学・学部などの教員適格審査にかかわり、釈然としなかったことがある。

  審査対象教員の論文の実物は資料に含まれてはいない。論文の題目名と掲載誌だけの情報である。したがって、審査は、担当科目と論文の題目とが合致しているかどうか、論文がどのくらいあるかの形式審査となる。有名な学会誌にのった論文ならあらためて読まなくとも信用してよいだろう。しかし、紀要貧乏教員の論文は、実物を読まないうちは研究業績として認めてよいかどうかわからないのに、である。このような審査形態が研究業績の質を問わない物量主義と形式主義を蔓延させることにあずかっている。

 剽窃は学問研究の〈積極的冒涜(ぼうとく)〉であるだけに事件とされ、措置が講じられる。しかし、〈消極的冒涜〉である「見せかけ学術論文」が事件になることは少ない。そのぶんこちらのほうはますますはびこる。

 このようにみてくると、冒頭にふれた、その昔の無業績教授が別様にもみえてくる。当時、よく言われていた「論文はやたらに書くべきものではない」という学問への畏怖ゆえの無業績だったかもしれないのである。

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([2]より)

「研究者にとって、権威ある学術雑誌に評価されて掲載された研究論文こそが最も重要な研究業績であることは、文系も理系も変わらない。[1]」 しかし、大学の紀要の評価は低い。

「日本の大学の紀要には、この査読がないか、あっても、非常に簡素な手続きにとどまっているものが多い。要するに、教員や大学院生としてその大学に在籍する研究者であれば、基本的に誰でも論文を載せることができる。もっとも大学によっては、院生の論文には審査を課していることがあるが、所属する教授・教員の論文には審査はない。内容やレベルを問われることもない。それが研究発表の場としての、紀要の大きな問題点の一つである。
 先述のとおり、紀要は学部単位、研究科単位で作られるため、各大学から毎年数多く刊行されているが、それを読んでいる人はきわめて少ない。もちろん、市販されていないという事情はあるが、大学の教職員や学生、関係者でも、自分の大学の紀要をいつも読んでいる人を私は知らないし、おそらく論文を投稿した本人でさえ、掲載された号しか目を通していないのではないか。私自身も紀要に掲載された論文を読んだことはほとんどない。なぜかというと、そこには学問的に得られるものがきわめて乏しいからである。これが紀要の、もう一つの問題である。
 その分野の最先端の研究成果や有用な知見を学ぶなら、経済学であれば『アメリカン・エコノミック・レビュー』のような、トップジャーナルと呼ばれる海外の一流専門誌から学ぶのが研究者の常識といってよい。もちろん、これは査読付きである。翻って「誰でも発表できるが誰も読まない」のが日本の大学紀要の実態であり、一定以上の学術的水準が担保されていないゆえんでもある。文系の研究成果の多くが、そういう場所でしか発表・評価されていない。それが日本の学界の現実なのだ。[1]」

「誰でも発表できて誰も読まない紀要に投稿して見せかけの研究業績を稼ぎ[1]」と書かれているように、紀要に論文を発表しても見かけの業績にしかならないのか。「最先端の研究成果や有用な知見を学ぶならアメリカン・エコノミック・レビューのような、トップジャーナルと呼ばれる海外の一流専門誌から学ぶのが研究者の常識[1]」らしいので、例えばリンク先の学術誌を読むのが常識なのだろう。リンク先では一流誌に複数回論文を掲載させた事のある国内経済学者のリストがある関連記事

海外の学術誌が高く評価されるから、逆にいえば国内に和文誌は評価されないという事かもしれない。誰も読まない、最先端の研究成果や有用な知見を学べない、学問的に得られるものがきわめて乏しいなら、低評価だろう。

インパクトファクターの高い雑誌とオープンアクセス誌、論文の捏造、掲載論文の質、人事や予算審査の評価」、「経済学と関連領域の学術誌ランキングと不公正な審査について」という記事を執筆した。参考までに。前者はなかなかの人気記事。

日刊スポーツ 2014年4月10日

一般には海外の一流誌に論文を掲載させないと高評価を得られないのだろうが、中にはO氏のように不正論文で評価されたり、実力や実績がないのにアカポスに就いた人もいる。それを必ず改善する必要がある。

参考
[1]橘木俊詔 「経済学タチバナキ教授が見たニッポンの大学教授と大学生」 東洋経済新聞社 2015年1月29日
[2]産経新聞 2014年4月1日 その1.


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