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学力に基づく客観的入試選抜を! - 国公立大2次の学力試験廃止、人物評価重視に対して

国公立大の2次試験の学力試験を廃止し、面接んど人物評価を重視するという文科省の方針が検討されている[1]。下村博文文科相は知識重視で1点刻みのぺーパーテストによる選抜を止めて、点数グループでランク分けして学力基準とするという。さらに国公立大学の二次試験から学力試験を廃止し、面接など人物評価を重視し抜本的に入試改革するという。

私見だが、2次試験から学力試験を廃止するなんて考えられないような改革だ。今の法科大学院の1次試験のような総合型試験や教科に関する基本的な学力試験試験だけで後は面接などの人物評価で選抜したら、学生の学力水準を保てるのか、大学での教育についていけるのか非常に心配だし、正直いってこんな改革うまくいくわけないと思う。下村博文文科相は『大学ごとに実施する2次試験について「大学の判断だが(同会議では)2回もペーパーテストをしないで済むよう考えたい」「暗記・記憶中心の入試を2回も課す必要はない」と述べた[1]』という。だったら現行のセンター試験を止めればいいんですよ。もともとセンター試験やその前身の共通一次試験は個別の学力試験だけだと難問奇問ばかり出すので、過度の受験勉強や適切な学習で済むようにするために導入されたものだ。現在では難問奇問は一掃されたが、単に大学が個別試験で難問奇問を出さなければいいんですよ。一部の私立大学は個別試験だけでずっと入試をやってきたわけだし、それでもうまくいかないのか?

この件に関して、いろいろなサイトで紹介されている人物評価重視にしたがる真意についての文章もある

私は面接や小論文、志願書などで選抜を行う推薦やAO入試があってもいいと思うが、ごく少数にとどめ、大部分は従来の学力試験で選抜する入試制度が適切だと思う。一番の理由は選抜はフェアーさを重視しなければならないから。面接、小論文等の最大の欠点は基準が不明確でアンフェアーという点で、努力しても報われない側面があるのが非常にまずい。極度に客観的な試験である必要はないが、きちんと努力した人が報われる試験でないといけない。面接や小論文等の試験はたまたま審査側の基準に合致した、面接官に好印象だった、売り込みがうまかったという要因で合格し、努力してもたまたま審査側の基準に合致しなかった、面接官に好印象を与えられなかった、売り込みが下手だったという要因で理不尽に不合格になる事が必ず多数表れる。こういう事例を考えた時に努力してる人が涙をのんで、器用にうまく立ち回ったやつがおいしい思いをするのは非常に不公正で納得いかない。努力した人より小保方晴子氏のようにうまく立ち回ったやつが成功するようでは非常にまずい。

それに人物重視の試験は選抜の不透明さを悪用して不公正な入試が行われている事も否定できないと推測する。選抜過程が不透明なのでこれは憶測に過ぎないかもしれないが、不当に女性を優遇する選抜をやっていると疑う推薦入試、AO入試がある。ある大学は工学部や理学部の数学科、物理学科などに推薦合格で合格した人が女性ばかりで、どう考えても女性の合格率が高い。ではそうした女性の学習意欲や学力が高いかというと全くそういう事はなく、サークル活動やバイトばかりで勉学精進には否定的な考えの持ち主ばかりだった。なぜこのような人物が推薦で合格したのか私は納得いかなかった。思うに、工学部や理学部の数物系などは女性比率が低いので一定数の女性を確保しようというバイアスが試験側にあると思う。その結果女性に有利な選抜になっていたのだと思う。そうでなければなぜあのような女性ばかりが合格したのか全くわからない。九州大学理学部数学科のように女性枠を設けるというあからさまな選抜を行えばさすがに批判されて取り止めになるが、推薦だと選抜過程がブラックボックスで不公正な選抜が行われても防げない。

上で述べた女性たちはおそらく選抜過程に不当なバイアスがあったのだろうし、面接の時には「学問が好きで、一生懸命がんばるつもりだ。この大学が一番目標を実現するうえで適している。」という趣旨の売り込みを面接や志願書でアピールし、バイアスのおかげで合格したのだろう。しかし面接や志願書で述べたことはその場限りの嘘で合格したら正体を表し勉学精進など一切しないどころか否定的な見解をもち遊びやサークル活動ばかり行っている。なぜこのような人物を合格させるために、努力してきた人が涙をのまなければならないのか。非常に理不尽だと思う。

人物で評価するというのは気分はいいかもしれない。入学者の人物が優れていた方がいいに決まっている。しかし大学は「いい人」でなければ入学できないところではないだろう。むしろ「いい人」になるように教育するのも大学の職責の一つだと思う。大学の人物教育は全然優れていないと思うし、そもそもやってないと思う。現状では大学を卒業しないと多くの就職先に進めない現実があるので、勉学以外の側面で評価して大学に進学させる推薦、AO入試などの選抜があってもいいと思うが、ごく一部にとどめ、大部分は学力試験で選抜を行わなければならない。

また学習意欲があるのはごく一部だけで、そういう人物は自然と努力していくが、その他圧倒的大多数は学習に意欲はなく強制又は学習する必要性がないと勉強せず、さぼるだけだ。台風がきて学校が休み、又は早期帰宅になったりするとどの学校でも学生が大喜びする様はそれを端的に示しているし、悪名の高いゆとり教育で学力がガタ落ちになったり、近年の公立高校推薦入試が学力低下を理由に学力試験との併用に移行している事を考えても、学力試験をかさなければほとんどの学生は学習の努力をしない。もし人物評価重視の選抜にしたら、学生の学力はガタ落ちし大きな損失を出すだろう。ばかげた推薦、AO入試をやっている私立大学もある

極度に客観的な試験である必要はないと思うが、従来程度の学力試験でほぼ全ての学生を選抜する入試が一番適切だと思う。

参考
[1]直接のソースはなかったので匿名掲示板のサイトを利用。たぶん間違っていないだろう。


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